「ママはどうしていつもお写真を撮っているの?」への答え
こんにちは。にちにち寫眞(にちにち写真)フォトグラファーの山本ミニ子です。
ある朝の会話。
窓からの光がいい感じだったのでいつも通り朝ごはん風景をパシャパシャ撮っていると、
「どうしてママはいっつもかんちゃんのお写真を撮ってるの?」と5歳の息子がきいてきました。
「かんちゃんたちが可愛いなぁーと思って撮ってるんだよ。可愛い子どもの時代はすぐ終わっちゃうから、今のうちに撮って残しておきたいなぁと思って撮ってるの。」と答えると、
「えー、子どもじゃなくなっても可愛いよ。だってママは大人だけど可愛いじゃん」と息子。
ずっきゅーーーん。
うちのツンデレ息子、時々こういう技を繰り出してくるので侮れません。
それはそうと、そうね、きっと親というものは子どもにすね毛が生えてもヒゲが生えても成人しても可愛いものなのかもしれません。
でもね、可愛さにはその時特有の可愛さというものが確実にあるのですよ。
「いっさいはん」という絵本がありまして、一歳半ぐらいの子のやりがちな行動や仕草なんかのイラストが並んでいるんですが、
これを知った時まさに下の子が一歳半だった私は即買いしました。
「抱っこしてほしいポーズ」
「食べたくないものには絶対に口を開けない」
「真ん中に寝ていたはずが朝になると端っこに移動している」
うちの子も、うちの子もー!とニヤニヤしながら眺めては、同時に切ない気持ちになっていました。
これとそっくりな時期は、一瞬で過ぎてしまうということを知っているからです。
だからこそ愛おしいし、全部覚えていたいと思う。
そうか、これを私は写真でやりたいと思ってるのよねーと再認識したのでした。
パーツや身体全体のフォルムも、その時期特有の形や質感があって、いつの間にか変化していきます。
我が子がガニ股で寝なくなったのはいつからだったのか、思い出せる人はいますか?
今日までのお気に入りの遊びを、来週はやらなくなってるかもしれない。
最近やってる緊張した時の指しゃぶりは、明日からやらないかもしれない。
帰宅すると家族全員の靴下を脱がして回るのは、きっと今だけ。
そして、きっとそのことを私は、ずっと覚えていることはできない。
それが「いつも」撮ってる理由かもしれません。
今しかない形、動き、表情、家族との関係性をずっと残しておきたい、だから撮る。
それはお客さまのお写真を撮る時も同じ気持ちです。
けど、自分の家族写真をいつも撮る理由はもう一つあるんだなぁと、わかったことがあるんです。
それは、少しだけ日常を客観視するため、ということ。
例えば冒頭の写真ですが、これは昨年のとある繁忙期の朝、
息子が朝食を食べ終わったお子様椅子に焼きそばが散らばったところに朝日が当たっているのですね。
(この時期は毎朝、前日の残り物が朝ごはんだったりします。)
これをふと美しい日常だな、と思えるのは、私が常に写真を撮る=物事を一歩引いて客観的に見る意識があるからだと思うんですよね。
この日は保育園の発表会の総練習で早く出なければならず、いつもに増してバタバタ、夫も泊まりで完全にワンオペ。
繁忙期の疲れもそろそろ溜まってきて夜中に起きるつもりが寝かしつけのまま朝まで寝てしまい1日の準備は何もできていない、
遅刻するよ遅刻するよ!と子どもたちを急かしながら、あっちへこっちへ大騒ぎ。
でも写真は、例えばシャッタースピード100分の1秒の時間が有れば撮れるんです。
実は上の子が荒れた時期がありました。
バカみたいに仕事を入れてしまって、夫も急に忙しくなって、毎日のスケジュールをこなすので精一杯、
子どもにも伝わっていたのだと思います。
後から見返してみると、その時期のプライベート写真がごっそりないんですね。
あぁ、たった100分の1秒カメラを構える余裕もなかったんだ…
そう気づいてからは、余裕がない時ほどちゃんと写真を撮ろうと思うようになりました。
写真は、余裕を持つためのツールになり得るな、と思ったのです。
もうイライラ!きーーーっ!!となった時にふと、「これも思い出。残すならどう撮るか」と無理矢理意識することで、
なんだか急にそのカオスも愛すべきもののように思えてきたりするんですよね。
(本当に本当にダメな時は一人で壁を殴ったり枕を投げたりしてますが。笑)
そうすると不思議と子どもたちや夫への接し方にも少し余裕が出てきて、楽しもうと思えるようになるんです。
ママがいっつもお写真を撮っている理由、それは2つ。
一、消えてしまう大切な記憶を形に残して、未来に楽しむため。
二、心の余裕を意識的に作って、今を楽しむため。
未来と今、楽しく過ごすためにいっつもお写真を撮っています。